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​こたつと雀

 ドラマの再放送はとっくに終わってしまったようだ。首までを眠気の湖沼に、腰から下はこたつの中に浸りながら、種ヶ島はあくびを三つ重ねたような大あくびをした。

 聴衆が潰えた居間で律儀にはたらき続けていたテレビは既に、「高級羽毛布団二組セットがこのお値段!さらに十六時までにお電話いただいた方には、な、な、なんともう一組プレゼント!」などと高調子に宣っている。大層なことだが、この家はあいにくの二人住まいである。

 散らかした卓上からリモコンを探し当ててテレビを消すと、急に静寂が耳を埋めた。午後は買い物へ行こうと話していたのだったなぁ、とぼんやり窓の外を見ると、雪の積もった電線がゆるく弧を描いている。またひと雪降ったらしい。薄い冬の陽光の中で、電線にのった雪の隙間に、雀が一羽だけとまっている。遠目にも分かるほど丸々と羽を膨らませた雀は、小さな嘴の先から白く息をするのが見えそうなくらいだ。やがて同じようなまんまるの雀がもう一羽やって来ると、二匹は連れ立って飛び去っていった。電線が風にのんびりと揺れ、乗せた雪をばらばら落とす。

 窓から見えるそんな景色は、まるで無声映画だ。風の音も鳥の声も吸い取られたみたいに聴こえないこの居間にあるのは、石油ストーブがこおこお燃えて暖気をこしらえる音と、隣で突っ伏したままの白石の寝息だけだった。色付き始めのりんごのようにほんのり上気した頬と、すうすうと無垢な寝息を生むあどけない唇を頬杖ついて見下ろして、種ヶ島は滲む笑いを一人で噛み殺した。

 この家にこたつを入れるのには少しばかり苦労した。「あんなん要ります?あれ、人をだめにするでしょう」。そんな大仰な物言いで渋い顔をした彼の育った家には、こたつがなかったそうだ。一方、種ヶ島は生まれた時からこたつのある家で暮らしてきた。だめで上等、これなしで冬は越されない、俺が凍え死ぬ。そう食い下がって辛くも勝利したのは去年の冬のことである。

 それが今や、こうして見るも幸せそうにうたた寝しているのだからかわいらしい。若草色の綿入り半纏を着て(京都の母が彼にと仕立てたものだ)、胸までこたつ布団を引き上げた姿は、雀にそっくりのまんまるだ。

 種ヶ島はもう一度音を立てずに笑うと、二人分のマグカップを手にそうっとこたつを出た。みかんのお供にしていた京番茶はもう空だ。そこへ冷蔵庫から牛乳を取り出して注ぎ、戸棚を覗き込む。あったあった。いつの間にか残り少ないその袋は、細く丸められて輪ゴムをされている。

「なにしてるん」

 眠たそうな声の方を見ると、ぼさぼさ頭のかわいい雀が、綿入り半纏のまるっこい背中の向こうからこっちを振り向いていた。

「お、起きたん」

 スプーンでかき混ぜたマグカップを二つ、レンジに並べてスイッチを押す。レンジの作動音の向こうからまた彼が何かを言った。「ん?」と聞き返すと、白石は寝癖のついた頭で開ききらない目を擦り、些かぶすくれた調子で繰り返した。

「さむくておきた」

「こたつやのに?」

「ん」

「ふは、堪忍なぁ」 

 牛乳を冷蔵庫へ、袋を戸棚へ片付けつつ笑うと、こたつから脱皮を果たしたほかほかの体がぼすんと背中にぶつかってきた。後ろからぎゅうと抱き付かれれば、その仕草も体温も小さな子どものようで、ますます笑ってしまう。

「寒いんとちゃうん?」

 靴下でぺたぺたとここまでやって来た足を、スリッパのふちでちょいと小突いてやれば、背中にぐりぐりと頭が擦りつけられ、くぐもった声が「はよう」とわがままを言った。

「あと二分。ココア好きやろ、ノスケの分も作ってんで」

 そう教えてやると、白石は背中でもぞもぞと伸びあがり、種ヶ島の肩越しにレンジの中を確かめた。並んでくるくると回るマグカップを見つけた白石は、耳元でふふと綿雪のように笑うと、再び背中へと戻って頬ずりした。

「すき」

 答えた声は綿雪どころか綿菓子みたいにやわくて甘い。彼がどんな顔でいるのか見てみたかったが、背中で健やかに繰り返される満足そうな息を乱すのは憚られた。ちょっと残念だけど、今はいい。きっと俺と同じ顔をしてくれているから。背から滲むぽかぽかの温もりに満ち足りて、種ヶ島は腹に回された手だけをあやした。

「ノスケやーい。買い物はどないしよ?」

「いらん」

「いらんてなに」

 くっくっと種ヶ島が肩を揺らす。そのうち背中からは、すやすやと寝息めいた呼吸が聴こえ始めた。

「ほな今日は一日くっついてよかぁ」

 その息の音の端から、微睡む彼が笑っているのが分かるのはどうしてだろう。ふわふわの綿入り半纏にくるまれた腕を撫で、種ヶ島もまた一つ小さなあくびを零して微笑んだ。今の彼を、出会った頃の彼に見せてやりたい。

 こたつ付きの二人の家で暮らす温かな日々は、少しずつ着実に白石をゆるめ、溶かし、だめにしてしまった。種ヶ島にはそれが嬉しかった。昔から頑張りすぎるところのある彼が、心地のいい場所にただ体を浸す時間を好きになってくれたことが。

 レンジの中、オレンジ色に照らされてゆっくり回る二つのマグカップは、甘そうな湯気を上げ始めている。できあがりの合図が彼の目を覚ましたら、ふたり元どおりにこたつにもぐり、ココアを片手に笑ったり、うとうとしてみたり、お腹が空くまでそうして過ごそう。

 ふとキッチンの小窓を見ると、隣の非常階段にとまる雀が見えた。黄味がかった午後の光と白い雪の中に、さっきの子らだろうか、ちょこんと二匹並んでとまっている。彼らもまた、見つけた風の来ないマンションの隙間で、甘くて、だめで、素晴らしい午後を過ごしているのかもしれなかった。まんまるの体を一つになってしまいそうなほどくっつけて寄り添う姿にぷっと笑うと、雀は「そちらもそう変わりませんが」とばかりに小首を傾げて見せたのだった。

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