おーきに
- ふく
- 6月30日
- 読了時間: 3分
種ヶ島さんの大人じみた愛想のよさみたいなの、子どもの頃から客商売が身近だったり自身がその中にいたりしたことが育んだものとしてとてもリアルだなぁと思う。
どんなに歳を重ねていても、客に対応する側の経験がない人はサービスの提供者に対して冷たいというか、心を持ったコミュニケーションの相手とみなしてないことが多い気がしてる。実際は客対応する側も心に感じることが色々あるわけで、穏やかでこちらの仕事に感謝の言葉までくれる人に接すれば嬉しくなるし好感も持ち、対応にもより心がこもる。それと比べると、こちらのサービスを当然と思って無言無表情目も合わせず去っていく人の未熟が目立ったりする。自分都合のクレームつけたりする客は言わずもがな。そういう客は「感じ悪」と内心で人間性を明確に嘲られ嫌われるということ、逆にひとりの人間同士として前向きなコミュニケーションを取ってくれる客は相手に幸せをもたらし軟化もさせるということ、そしてどんな立場であれみんな心を持った人間なのだということを、客商売に懸命に取り組んだことのある者は往々にして知ってる。
種ヶ島さんはコンビニの店員だろうが合宿所の裏方さんたちだろうが、目を合わせ笑顔を添えておーきに、おねがいします、ごちそうさんでした、とやっていることが多そう。それこそ周りは社会経験も客商売経験もない子どもたちがほとんどだから、一部の仲間からは少々ネガティブな意味合いで「愛想のいい奴」とか「媚びてる」とか幼い見方をされてしまってそうだけど、本人はそんなつもりさらさらなく、そういうことが結局自他の人間関係や環境、心持ちを快適にするって、小さい頃からの経験則で知っているだけなんだろうな。
(多くの子どもたちがそうしているように)親に「そうするものだ」と教えられた聞きかじりの礼儀をなぞっているのではなくて、種ヶ島さんはそれを行う意義を理解し尽くした上でやってるから、子どもの礼儀ではなくまるっきり大人の愛想になってて、学生たちの中だとちょっと目立つんだろうなと思う。
こちらも幼い頃から大人社会に揉まれているキミ様跡部様なんかは、種ヶ島さんが自然にやってるコミュニケーションをすばらしい社交術だって100%感心して見ているかもしれないな。
白石くんも周りの人の幸福度にナチュラルに聡いところがあるので、無自覚な好印象とケアを振りまいてそうではある。けど、二人で外食したときなんかに、会計済ませた種ヶ島さんがレジ打ちの人にさらりとかけた「おーきに!」の言葉と笑顔に新鮮に驚いて、おおらかな美しさを感じ取ったりしてほしい。
あらぬ方へ脱線するけれども、私が社会人になりたての頃に品川の蕎麦屋で暑さ凌ぎの冷蕎麦をいただいていたとき、近所の子なのか、小学校高学年と思しき少年が一人会計を済ませたのが視界の端に見えたかと思うと、店の引き戸をひょいと出ていく間際、「おいしかった!ごちそうさま!」と聞こえてきたことがあった。変声期の途中だろう声は少しぶっきらぼうであったけれどもそれがかえって自然に思われて、私は小さな驚きとともになにやらとても爽やかな気持ちになった。種ヶ島さんも小さい頃からそんなのが備わった子だったのかもしれない。
「リプレイ」に収録してた番外編を展示へ。出せるもので出してないのはこれでなくなったかな。当時の解釈もりもりだけどそれはそれで面白い。