蹴飛ばし
- ふく
- 6月20日
- 読了時間: 2分
大人が生きる場所を変えるのは大変だ。
子どもの頃、生きる場所はひとりでに変わった。ずっとこのクラスでいたいと塞ぎ込んでも春には違うクラスになり、知らない子が増える中学になんか上がりたくないと思ってもあれよあれよと言う間に中学生にされ、引退したくなくても最後の大会はやって来て、よく分からない大きな流れに乗るまま受験することになって高校生や大学生になった。当事者の体感的には「背中を押されて」なんて穏やかなものじゃなく、背中を蹴飛ばされつんのめるようにして次の場所に足を踏み入れ、戻りようもないから毎度なんとか順応してきた。そうして楽しくなってきた頃には次の場所へまた蹴飛ばされ、もといた場所に別れを告げるほかなくなる。三年に一度はそんなことがあって、子どもの頃は大変だったような気もするけど、背中を蹴飛ばしてもらえるのはある意味楽なことだったのだと、大人になって思う。
今は、別の場所で生きるなら自分でそれを選び、何の流れもない海域を一人で掻き分け泳いでいく覚悟を決め、優しい場所や人々との繋がり自ら引きちぎって、後悔するかもしれない不安と渡り合いながらそこへ行かなければならない。本当に後悔することになってもなんとかしなければならない。素晴らしい未来だけを思い描きたい心は現実を考え始めれば色んなものに折られていくし、それでも行くという気持ちが残らなければ動けない。
住む場所を変えようか。何年も前から折に触れて考えていることを、最近また考えたというわけで。
その何年も前から、結局わたしはずっとここにいる。今が穏やかであればあるほど、変えることは難しい。いっそあの頃みたいに、誰かに背中を蹴飛ばしてほしい。けれどそれはそれで、なにしてくれてんだ!とあの頃みたいに思うんだろう、大人になってもままならない私である。
なんにも天秤にかけなくてよくなればいいのに、人生はそうできていないものなぁ。