なぜ星が美しいかを誰も説明できない
- ふく
- 7月6日
- 読了時間: 3分
更新日:7月7日
どれかの本のあとがきで一番星の話をしたことがあったけれども、私の中で種ヶ島さんがどうやって白石くんを好きになったか、どんなふうに白石くんが好きかを私のBL脳と趣向に引きつけて想像するとき、実際、星を見つめているような気持ちになってくることがある。
「博士の愛した数式」という小説の中で、超然とした真理の存在の示唆として「なぜ星が美しいかを誰も説明できない」という博士の言葉が出てくるが、種ヶ島さんにとっての白石くんはしんと輝く星の光のように、考えても理由なんてなく、しかしどうしても逆らえない当然さで、ただもう目が離せないほど綺麗で心が震える、そういう存在であるといい。見れば心が吸われ、なぜとかどうしてとかいう思考の必要性が失われるような。
そういう自分の心の動きに気付いていて、でも処し方は見つけられないまま、その小さな秘密を懐にしまって忙しい毎日を送ってる種ヶ島さんがいたらすてき。
彼は「たくさん☆」が公式の人なわけだけど、かと言って一つ一つが軽いとも限らないのかなぁ、と最近思う。彼自身は毎回ちゃんと恋をしているのでは、と。
それは「この子楽しいやん☆」程度のときめきかもしれなくて、さらに彼は恋に身を滅ぼされてぐずぐずになるような野暮を晒さないので、とかく恋は全てを一変させるごとき大層なものであるはずと信じたがる多くの人の目には軽くも映るかもしれないんだけど、種ヶ島さんは「恋ってそんなもんやろ」と軽やかに本質と向き合っている。自分のときめきにいちいち驚いたり怯えたり、気持ちの品定めをしたりすることもなく、自分はこの子が気に入ってる!という事実を素直に観察して心の赴くままにさせている感じ。
一方で無理に振り向かせようと取り組む気はあんまりしないから、自然に二人引き合うことがあれば好い仲になるって流れが想像しやすいけど。したがってそういう巡り合わせにならず、一方的に「いいな」と思って終わった酸っぱい恋の経験も多少あるんじゃなかろうか。それで身も世もなく泣いたり打ちひしがれたりはせず、さっぱりと過去にしているとしても。
いずれにせよ、彼は「たくさん☆」ではあれど、彼の中ではわりとちゃんと、普通に、そして自然に恋をして恋を終えてきただけなのでは、という話。他人だけでなく自分の心の機微にも聡そうだし、自分の感情や快楽から目を背けない素直さと勇気、そして自分を御しきれるという自信もあり、その上人間好きときたら恋も多くなることだろう。自分を見失ってよろめくことはきっとないから、「恋多き」と言うとなんだかしっくり来ないけど。そして内実はどうあれ数が多いのは事実なので、周囲の堅実な人たちにはやっぱり「遊び人」と評されるかもしれないけど。
竜次さんあたりは、もしかすると恋愛観が近い数少ない仲間だったりするのか。どちらも擦れていて、刹那的なものにだって真実はあるし、本物なら永遠に続くというものでもなく、本物は一つだけとも限らない、的な部分で一致していそう。
再度BL脳に回帰して。そういうわけなので種ヶ島さんは白石くんに対する自分の心の動きも、今までにない感じではあれど「そうかぁ」「こんな気持ちもあるのか」とまずは怯まず受け止めそうだと思うのである。静かに認めた上で、何も起きていないかのように、しかし気持ちに蓋をしたり逆らったりもせず、そっと見守って、助けたいと思ったらさりげなく助けて、という日々を送っていてほしい。星が不意に手の中に落ちてきて目を丸くするその日まで。