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​星をつくる人

 微睡みから目を覚ますと、長い間ごとごとと走り続けていた汽車が、どこかに停まっていた。この汽車に乗ったときに「銀河ステーション、銀河ステーション」と言ったのと同じふしぎな声が、目覚める直前に何かを告げていた気がしたけれど、もう思い出せなかった。見えるのは、眠りに落ちる前と同じ、小さな黄色い電燈の並んだ車室と、青いビロード張りの椅子。窓からは、この汽車からずっと見えている、無数の金剛石をひっくり返したような景色が見えた。汽車は、星々の間を縫うようにして、もうずっと走ってきたのだった。  

「切符を拝見いたします」  

 いつの間にか、赤い帽子をかぶった車掌が立っていた。切符を見せながら尋ねる。  

「いつまで停まりますか」  

「しばらく。降りてもよろしいですが、汽笛が鳴ったらお戻りを」  

  

   

 汽車の外へ降りてみると、そこはきらきらと青いそらの野原で、小さな建物が一つ続いていた。駅らしい。だいぶ古そうな駅舎には改札も駅員もなかったが、窓の一つから明かりが漏れていた。近づいてみると、中では銀色のふわふわ髪の男が、こちらに背を向けてグラスを磨いている。男はこちらの気配を察したのか振り返ると、にこりと人懐っこく笑いかけて手招きした。すぐ横で扉が開いて、男はそこから顔を出すと快活に言った。  

「長旅ご苦労さん☆何か飲んで行きや!」  

 男に言われるまま中に入ると、そこは喫茶店のようだった。使い古され、つるりと角のとれた木のカウンターに掛ける。 男はカウンターの中へ入った。腕まくりした真っ白いシャツを着ている。 

「お兄さん、ここの店主さんですか?」  

「まあそんなとこやな。何飲む?」  

「ええと…お任せしますわ」  

「ほいじゃあ、俺のとっておきご馳走したるわ☆」  

 男は楽しげに弾んだ声で言うと、カウンターの下から取り出したグラスに、真っ黒な瓶から何かを注いで差し出した。注がれた液体は暗い暗い藍色をしていて、どう見ても美味しそうには見えなかった。困惑が顔に出ていたのか、男は面白そうに声を立てて笑った。   

「まあ見とき」  

 ちゃい☆  

 男がそう唱えてグラスの上に長い人差し指を差し出すと、指先にキラリと明るい光の粒が浮かび、グラスの中へ落ちて行った。暗かった藍色が光の粒に照らし出され、美しい青に輝く。  

 星だ。  

 グラスの中に、夜空に輝く星があった。  

 呆気にとられていると、男は次々に指先で星を作り出してグラスに落としていく。グラスの中に、あっという間に満点の星空ができあがった。  

「わ……!」  

「どや?ええやろ!ああでも、汽車で星は見飽きたか」  

「星はいくつも見ましたけど、グラスの中の星空を見るんは初めてですわ。めっちゃきれいや」 

「気に入ったんならええけど」  

「これは天の川やな。あ、これ、南十字。さっき汽車で通ったんです。じゃあこれは、南の空や」  

 差し込まれたストローに口をつけると、ストローの中を夜空と星が流れてくる。それはひんやりとしていて、しゅわっとするような、甘いような、酸っぱいような、豊かな植物の香りがするような、味わったことのないすばらしい味がして、あたらしい道が開けたような清々しい気持ちが胸にわいた。  

「すごい。星を作れるなんて、お兄さんすごい人や」  

「そうか? お客さんにも作れんで」  

「俺、星の作り方なんか知りませんわ」  

「作ろうと思ったら案外作れるもんやて」  

「そんなもんやろか?」  

「うん、でっかい星も作れるかもしれへんで」  

「でっかい星作ってもうたら、グラスに入りませんやん」  

「そらそうやな」  

 男がおかしそうに笑う。銀色の髪が笑うのに合わせて揺れている。  

「どこまで行くん?」  

「それが、分からんのです。切符はあるんですけど、どこ行きか読めへん。ともかく、この切符で行けるとこへ行くらしいです」  

「さよか。もうすぐやとええな」  

「あなたは、ここでなにをしてはるんですか。汽車に乗らへん人に会うたのは初めてや」  

「俺か?誰かを待っとったんやけど、誰を待っとったんか分からんようになってもうてな。でも会うたら思い出しそうやから、そいつが通りかからんかとここにおることにしてん」  

 男は、初めて少し声の調子を下げ、どこか寂しそうに言った。  

「会えたんですか」  

「どうやろな」  

「そんなん、いつまでかかるか分からへん。もしその人がここへ来ても分からんかもしれませんやん。一緒に行きましょ。その人とは、汽車を降りた先できっと会えますわ。汽車に乗らなあきませんよ。あの汽車は人がみんな乗るもんなんやって、俺、汽車の中で聞いたんです」  

「うん、そうやな。お前を見送ったら、次の汽車で俺も行こかな」  

「約束ですよ」  

「約束。ほれ、切符もこのとおり」  

 男は、シャツのポケットの中から古びた紙切れを取り出した。ちょっとくたびれているけれど、俺が持っているのと同じ、緑色のはがきくらいの紙を四つ折りにした切符だった。これも同じように、奇妙な模様の中に、おかしな文字が十個ほど印刷されている。  

「……お兄さんの行き先も読めへん。でも、俺のとは少しちゃうみたいや」  

「そうやなぁ」  

「そうや、お兄さん、名前教えて」  

「聞いてどうするん。汽車を降りた先には持って行かれへんらしいで」  

「え、そうなんですか。……でも、手放さんようにがんばります。また会うたときに、姿か名前、どっちかだけでも覚えてたら分かるでしょ」  

「そうやろか」  

「そうですよ」  

 男は、ちょっと躊躇うようにしてから言った。  

「……修二や」  

「しゅうじさん」  

「そう」  

 修二さん。修二さん。やけに呼びやすい名前を何度か繰り返す。  

「うん、これで忘れへん」  

「さよか」  

「俺は蔵ノ介」  

「……くらのすけ」  

「今度会ったら声かけてくださいね」  

「どうやろ」  

「必ず!」  

「……まあ、やるだけやってみよか」  

 修二さんは少し曖昧に笑って、「くらのすけ」と呟くように俺の名前を唱えた。  

 そのとき、汽車の方から鋭い汽笛が聴こえた。  

「さあ、もう行き。見送ったるわ」  

 修二さんが急に優しい声になって言った。  

「また会えますよね?」  

「会えたらええな」  

「俺探すし、きっと会えますわ」  

「さよか」  

「そしたら、俺にも星の作り方教えてくださいね」  

「ええで、教えたるわ」  

 車室の椅子に戻り、窓を上げて外に顔を出す。修二さんがすぐそこに立ってこちらを見上げている。何か話そうと思ったが、再び汽笛が長く鳴って、汽車が微かに揺れた。どうやら発車の合図らしい。別れのあいさつをしようと口を開くのと同時に、修二さんの手がのびて、俺の頬にそっと触れた。  

「え、」  

「気ぃつけて行きや」  

 修二さんが優しく微笑んで言った。汽車が動き出し、修二さんの手が離れる。俺は修二さんに向けて大きく頷いた。  

 遠ざかっていく修二さんが、優しい顔のまま手を振っている。その口元が、「またな」と動いた気がした。俺はなんだか急に悲しくなって、いっぱいに手を振り、汽車の音に負けないように声を張り上げた。  

「また!」  

 聞こえたかどうかは分からなかった。汽車は速度を上げ、駅は瞬く間に小さくなっていき、すぐに星屑に埋もれて見えなくなった。  

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