Always
干したてのシーツにぶわりと包まれたような心地がして、白さに眩んだ目を思わず眇めた。あらゆるものに生命を与えそうな風が緩やかに渦を巻く中、開ききらない瞼をひとつ擦り、音を立てないよう慎重にドアを閉めると、俺は明るい朝のリビングへと足を踏み入れた。
開け放たれた窓から光が注いでいる。しゃら、と聴こえたのは、真っ白なレースカーテンが陽光を反射して風に靡いた音だ。五月の風は冬の刺々しさも夏の執拗さもなく、ただ人の肌のためにだけ設えられたかのような極上の手触りで、温く尾を引く眠気ごと迎え入れてくれる。この時期の風が好きだ。生まれた季節だからだろうか。世界に祝福されているような、一年で最も秀でた朝の空気をゆっくりと吸って吐き出せば、新しい一日が緩慢に幕を開けていく。
キッチンの横を抜け、小さなダイニングテーブルへと静かに歩み寄ると、辺りはいよいよ白く明るさを増した。大量の光を湛えた大きな窓は、俺の指定席のちょうど正面にある。そこから見える景色が今朝の目当てだ。ふわり、もうひとつ最高の風がきらきらと吹き込んでレースカーテンを靡かせる。覚醒しきらない体にその風を絡ませながら窓の向こうを見れば、頬はひとりでに柔らかい笑みを刷いた。
真っ白な光の中に埋もれるようにして、もっと眩しいミルクティーブラウンの髪が揺れている。世界でただ一人の、今でもいっとう綺麗なその人の背中が見える。
悟られぬよう椅子を引き、座るのはすっかり体に馴染んだ指定席だ。ふと目をやると、テーブルの上には、濃いピンク色と白の撫子の花が活けられた丸っこい花瓶がある。昨夜まではなかったものだ。彼の今朝一番の仕事だろう、と薄い花びらを撫で、うとうとと落ちかかりそうな頭を頬杖に乗せて、俺は窓の先のベランダに屈んでいる背中をぼうっと眺めた。その向こう側で気持ち良さそうに葉を揺らしているのは、彼が鉢植えで大事に育てている植物たちだ。花瓶の花と同じ色の花も見える。また風が吹きき、葉が一斉に体を揺らすと、生来幻想的な淡色をした髪もさらさらと吹かれて光る。白いコットンシャツが輝く。腕まくりをしたシャツから覗く腕も負けないくらいに眩しい。俺はとろりとした眠りにまだ半分浸かりながら、ゆっくりと瞬きをしてそのうつくしい景色を見る。
ぱちん、ぱちん。がさ。……ぱちん。しゅ、しゅ、しゅ。
レースカーテンが気まぐれに揺れる静かな朝に、彼がせっせと植物の手入れをする微かな音が聞こえる。白い砂の中に時折瞬く宝石の粒を眺めているよう、きらり、きらりと小さく鼓膜を揺らし、羽のようになめらかに心を擽っていく。太陽の香りのする新鮮な風を胸いっぱいに吸い込み、まだ垂れる眠気に任せて目を閉じて、俺は夢現にそのかけがえのない気配を聴いた。
さあああ、ぴちぴち、と爽やかな水の音がして、ゆっくりと目を開ける。白い背中が腰を上げ、手にした青いじょうろから水を撒いていた。じょうろの口から放射状に落ちていく水は星屑のようで、葉は喜んで身を弾ませている。ええなあ、気持ちよさそうやなあ、と少しだけ羨ましくなるけれど、彼が植物たちの根元に丁寧に水をやったらもうすぐだ。星屑の水よりもいいものがここに降るまで。道具を片付け、横に置かれた籠を持ったら、あと一秒。ほら、今日も。
ヴェールのように真っ白な光の中で、白い背中がこちらを振り返った。五月の風と同じあたたかさをした瞳が俺をとらえて丸まり、そしておひさまのように笑いかける。名前を呼ぶ。
「修二さん」
── ああ本当に、なんて綺麗なんだろう。心がじわりと蕩けて、俺はうっとり目を細めた。土のついた小さな野菜を乗せた籠を抱え、サンダルからスリッパに履き替えてリビングへ入って来た蔵ノ介が優しく微笑む。俺はまだ相当眠たそうに見えているらしい。注ぐのは、あやすような、愛が滴り落ちるような、俺だけが聴くことができる甘い甘い声。
「おはようございます。もう、声かけてくれたらええのに」
「ふふ、おはよ。楽しそうやったからな」
「起きてもうてええんですか。昨日遅くまで仕事してはったでしょ」
「うん……」
俺は頬も心もすっかり緩めたまま曖昧に頷き、まだとろとろと眠気が差す体をテーブルに伏せた。閉じた瞼から透けるオレンジ色の光の中、夢との狭間に揺蕩えば、蔵ノ介がくすくすと笑う声が聴こえる。
ベランダにいるお前の背中を見たくて、お前の立てる小さな音を聴いていたくて、そのために一時間早く起きたのだと伝えたら、蔵ノ介はどんな顔をするだろう。そんなことよりしっかり寝てくださいよ、と困ったように笑うかな。それはそれで愛おしいけど、と夢見心地に思う。
今、この心をそのまま蔵ノ介に手渡せたらいいのに。そうしたら蔵ノ介だってきっとすぐに分かってくれるのだ。蔵ノ介がここにいること、変わらぬまっすぐな瞳が愛を湛えて俺を映すこと、それらにゆっくりと体を浸すこの朝がどんなにすばらしくて、幸せなのかを。
背後のキッチンから、かちゃ、こと、と小さな音が聴こえ始める。再び眠りかかる俺への気遣いが滲む控えめなそれを聴いていたら、なぜだか、温かい涙がじわりと瞼の裏側と胸の奥を湿らせた。
── きっと、こんな日々がどこまでも続いていく。
確信と言うには根拠の少ない、けれど予感にしては確かな輪郭を持ったその直感は、二人だけの時間に時折こうして姿を現し、いつもひたすら甘やかに俺の体を包んでは、底抜けに優しい安息を与えるのだった。
いつの間にか隣に寄り添った静かな足音と、温い風と一緒に柔らかく髪を梳く指に見送られ、俺は赤ん坊のような無防備さで、暖色の夢の中へと溶けていった。