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反転

  • ふく
  • 3月15日
  • 読了時間: 2分

更新日:3月23日

 いつどうやって好きになったのだったか、記憶を辿っても思い出せない。活動歴と私の生まれ年とを照らし合わせれば、テレビ越しに出会ったのだろうその日は私に物心がつくかつかないかの頃だったはずだけど、ともかく気付いたときにはもう私の人生の中に存在していた。


 何年も毎晩歌声を聴いて眠ったその人のステージを、先日初めて観に行った。

 昔から幻のように美しい人だ。だから直に目にしたとき何を感じるか少し怖かったけど、私が小さい頃から感じていたとおりの素敵な人が、思っていたよりずっと自然に、すっと立っていらっしゃった。


 その人の声で、楽曲で歌詞で、描かれる悲しみと喪失が好きだ。何かを呪うでも恨むでもなく、主張するでも巻き込むでもなく、失った事実と戻らないものへの想いにただ一人で暮れる歌が好きだ。どの曲にも漂う夜が好きだ。

 小さい頃からそんなだから私は、悲しいまま終わる物語に意義を感じない人が多くいらっしゃることを、ひとより随分遅れて知ったように思う。小説を書いていた頃学んだことには、人間が起承転結あるいは序破急のある物語を「面白い」と感じる理由は、科学的に説明がつくらしい。人間は本能的に、嫌な状況や謎に対する結論を手に入れたり元凶が判明したりすると気持ちよさを感じるのだそうだ。それは原始的には「状況が分からない」という生命の危機から脱することからだ。生き延びるため、原因を求めずにいられないように設計されている。その理屈からいけば、悲しいだけの物語に意義を感じない人々が多いのも納得がいく。気持ちよくないのだ。悲しみが救われず、悲しみの元凶を滅ぼすこともできないのは。


 けれど、相変わらず悲しい曲ばかりのそのステージを見て、私はやっぱりこの世界観が好きだと思った。結論がなくても、救われなくても、一人で沈む悲しみの純粋さが、反転して想いの強さを描き出す。その痛いほどに美しい色合いを見つめることができる、絵画のようにすばらしいステージだった。

 コンサートやライブの類で、うるうるすることはよくあっても落涙することって私はそれほどないけれど、今回は何度も泣いたなぁ。あの声と歌詞は他の誰のそれより刺さってくる。理由はよく分からない。まだ本能しかなかったような小さい頃に好きになって以来ずっと特別な人だから、本能的に好きなのだ。多分。



 
 

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