いつも
- ふく
- 5 時間前
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「リプレイ」の展示へ向け準備に着手してみたけど、なんてったって長いからまあまあ手間だな……とものぐさな私が顔を出してる。気分が変わらないうちに展示まで辿り着けるのか。
ここは私の気分にのみ従う場所としているけど、読みたいと思ってくださる方の存在は嬉しいと思っちゃって、作業の後押しになっている感がある。最終判断は私が私の責任で下すのだ、と言い聞かせつつも、やっぱり嬉しいもの。
個人的な困難からそういうお声の受け止め方をずっと模索しており、それを察してくださる優しい方々を「声をかけること自体迷惑なのでは」と心配させてしまっていることが心苦しい。このブログも「誰に向けて書いてるわけでもない」という宣言のもとにやってるしなぁ。最近、これまでよりはもう少し、誰かに向けて何かを発信しても適当にやれるような気がしてきてはいるのだけど。
以下、これまでいただいたお言葉やお気持ちを批判するものではまったくないことを断固断っておきつつ。
「執筆応援してます」と言ってくれる日があったとしても、出来上がったその作品が自分に刺さらなければスルーするのが読者というもので、「あなたが好きです」という美しい言葉には、「(私好みの作品を提供してくれる)あなたが好きです」という現実的な行間が常に隠れている。それはたとえ大作家や人気ミュージシャンであったとしても変わりようのない読者・リスナーの性質であって、彼らの満足する作品を提供し続けることでのみ大作家は大作家たり得、人気ミュージシャンは人気ミュージシャンでいることができる。娯楽にまつわる当然の論理。
魔法が解けたように書けなくなっていった時期、そのことをとてもよく体感した。読者さんたちが好きになって応援してくれていたのは、自分とって楽しいものを提供してくれる私だったのだなぁ、そりゃそうだよなぁ、私だって一人の読者でいるときそうだもの、と遅い悟りを開き、当たり前の事実でも書けなくなれば私には読者にとって価値がないのだと分かるばかりの毎日が痛かった。
そんな時間が長らく続き、この状況における最適解は、読者という自由で正直な生物のために苦痛を耐えて書けないものを書くような献身をしたり、わがままにも変わらぬ応援を期待したりするのをやめることだとようやく納得した。書けなくなっている以上、それらを続けたところで馬鹿を見るだけの構造であったし、実際既に相当な馬鹿を見て一人でぼろぼろになってもいた。もう期待もしたくなければがんばらなきゃとも思いたくないから、誰もいないここに引っ越してきた。人がいるとすれば、書けない私でもたまに訪れてやろうかと思ってくださる人だけであろうここへ。
ここでは誰の声も存在も強請らず、声を聞いても要らない使命感を舞い上がらせることのないよう心がけ、自分の気持ちにのみ従って動くと事あるごとに言い聞かせているのもそのため。
あたたかいお便りはいついただいてもとても嬉しい。ただ、馬鹿な私はうっかりするとそれをきっかけにまたすぐ「がんばってみようかな」などと思ってしまうので、今はまだ、受け取るときに気をつけなければならない。書ける状況にあるときなら「がんばってみようかな」でもいいけど、今も書けそうにない私なので、「がんばってみようかな」はまだ自分に無理ゲーを強いるだけの禁忌なのである。
ともあれ、全部私の中での消化のしかたの話で、そのうちうまいことできるようになりたいと思ってもいる。ここまで書いた文字に埋もれてしまいそうだけど、つまり言いたいのは、「色々言ってるけどあたたかいお言葉はいつも嬉しい」ということ。今の私が言葉をかけにくいことこの上ないのは止むを得ないけれど、投げてみたい言葉が浮かんだときにはあまりお気遣いなく投げ込んでいただければ、の気持ちでいる。
さて、「リプレイ」全16章。5/3を目指したいけど、大変だなぁ。