越える
- ふく
- 2月20日
- 読了時間: 2分
展示するに当たって読み直したり、本作を語る方のお言葉を拝見したりしているうちに思い出したけれど、「十年後の今日」の二人は白石くんが渡米(無期限)を決めなかったら一線を越えることは決してなかっただろう、と執筆中考えていた。
二人が互いに色々気付いていながら気付かないふりを通していたのは、男同士でもあるし、どちらも将来しかない若者だし、始めてしまったら終われなくなる予感ありありだしで、互いのためを思えば踏み切らない以外に選択肢が見当たらなかったからだと思う。愚かであれば違ったかもしれないけど、幸か不幸か、彼らはどちらもとても聡い子らであったし。
それでも近くにはいられるから特に我慢や苦痛もなく、たぶん、ごく自然に楽しく過ごせていた。もう近くにいられなくなることが決まるまでは。
二人の間にタイムリミットができたからこそ現状のままでいいのかという疑問が生まれ、目を背けてきたものを直視せざるを得なくなった。時間が強制的に二人を終わらせてくれると分かっているからこそ中長期的なリスクを考える必要がなくなって、守ってきた一線を飛び越えられた。この冬限りだということが、切迫感とある種の安心材料の両方になって二人の背中を激しく押した感じ。
あの時一度終わりが訪れなければ決して花開かなかった火花。
そうして十年後、知らないことだらけで生き方もよく知らない若い頃には飛び込めなかったところへ、覚悟と責任を持って飛び込める大人になって再会したからこそ、彼らは今度こそずっと一緒にいられるのだなぁ。
頭がよくて優しい子の場合、若い頃の方が慎重ということ、よくあるかもしれない。逆に大人になるほど愚かでいいことを知っていくというか、愚かにならなければ何も選べないことを悟っていくというか。
二人もそうかもしれないね。
二人の物語を考えるとき、彼らがどうやって関係の一線を越えるのかということはいつも障壁になる。私の中で、彼らはとても賢いだけに普通にいけば絶対に踏み越えることはない二人だと思えてしまうから。
だから彼らの関係が動くときには相応の、普通じゃいられなくなるようなきっかけが常にあるのではないかと、あれこれ考えるのをやめられない。