やりくり
- ふく
- 3月23日
- 読了時間: 2分
昨日フォームからお便りくださった方、ありがとうございました。個別の返信を希望されない旨記載があればそちらに従いますので、もしまた何かあればいつでもどうぞ。
ところで、「本当にやりたいときだけやる」がこの場所における私の鉄の掟であるからして、お便りの熟読もお返事も私の気分次第でしたりしなかったりということになる。お便りをくださる方にはもしかしたら喋るかもしれない程度のお地蔵さんに話しかける心をご用意いただきたい。
いただいたお便りや昔の経験から改めて、色んな人がいるなぁと考える。
誰かと比べて気にしやすく、なかなか前を向けず切り替え下手だったり、そうではない人を見ていて苛立ったりするのは、普通の感受性だと思う。私もそういう人間だ。些末と分かっていることでも嫌になるほど気にかかるし、そういう人の心があることを考慮に入れて行動しない人は気遣いに欠けると感じられて腹が立つ。
ただ、世の中にはそういう感受性が信じられないほど薄い方々も実在する。そして恐らくそういう彼らもまた普通。彼らと私とは、お互い深く分かり合うのが極めて難しい仕様になっているので、「分かってほしい」と思い続けるほど双方が苦しいだけなのだと、いくらか歳を取って思う。弱っているときは特に、自分の苦しさを確実に分かってくれるだろう人にのみ期待し、頼るのがお互いのため。そうでないと、分かってもらえないこちらが辛いのはもちろん、仕様上分かりようがないことを分からないのはおかしいとばかりに迫られる方も悲しくする。
「この人に分かってもらえたらどんなにいいか」と夢見た人がたまたま違う仕様の人間だったという不運もたまにはあって、稀に当事者になるとやるせないものだけど、その時はなるべく早く、その人に分かってほしいと思うことをやめるしかない。その人がどんなにすてきな人であっても、私の心を理解し得る仕様の人なのかどうかはまた別の話。
そうすっぱり割り切ることもなかなかできないから面倒なのだけど。色んな気持ちや期待がある中で、自分と他人をやりくりしていくのは難しい。
花粉に対し最上級の装備をして青空骨董市に行って来た。良い感じの漆塗りのお盆とコースターのセットを500円でゲットしほくほく。