今日この頃
- ふく
- 2月22日
- 読了時間: 4分
更新日:3月23日
本を完成させないと書いた時間が無駄になるからとか、自分はまだ書けるしまだ好きでいられると信じたいからとか、「大好き」「応援してる」「読みたい人がたくさんいる」という宝石みたいな言葉に応えたいからとか。
そんな理由に引きずられて半年以上数百時間を費やして最後の本の執筆を続け、這って完遂してみたものの見合う何かを得られたとは全く思えず、ようやく懲りて筆を置くことができたのが現在の私だ。(もちろん、得たものもいくつかあった。楽しみもないではなかった。それで満ち足りる私でさえあればと思う。)
創作を始めた頃にあった狂ったときめきとエネルギーは落ち着いて、Xと創作で高速インプット/アウトプットをし続けたことで感性はすり減り、今思えば自分の内側だけを見ればとっくに書くだけの理由はなくなっていたのに書いていた。そんな状態で続けるべきではなかったと今は分かるけど、当時はとにかく残った仕事を終えるしかない感覚だった。ともかく終えなければ立ち直るも折れるもできないという感覚があった。
そうしてへとへとのぼろぼろになり、やっとこさ折れることができた私は目下、「純粋に私自身がやりたいだけ以外のことは絶対やらない」をルールとしている。今わたし、自分がやりたい以外の理由で動こうとしてる!と察知した瞬間、ブブー、それ以上進入禁止!とやることにしているのだ。
このサイトもそう。今後「見てくれる人がいるから管理をがんばろう」とか考え始めようものなら、私は私からこのサイトを取り上げる。ここは私が一人でサイトいじりを面白がり、作品をバランスのいいきれいなフォントで飾って悦に入るだけの場所でなくてはならない。「読んでほしい」という理由で展示作品を増やすのもタブーだ。単純に私が作品をここに置きたい、以外の理由が混入しているからだ。「読んでほしい」と思って勝手に動き、結局読んでもらえたのかどうかもよく分からず勝手な徒労感で潰れるくだらなさにもほとほと飽きた。
ブログもそう。私が書きたいことを書きたいときに書く以外のことがあってはならない。読む人の存在を意識して更新頻度を保ったり、記事を書くためにないネタを捻り出そうなんてし始めたなら、そんな滑稽な使命感が消えてなくなるまで更新禁止だ。だからこれまでも、記事においては(お返事を除いて)読む人に向けて何かを語ったことはない。すべて日記のような独り言。それを眺めておもしろく思う人がいらっしゃるならもちろん、自由にご覧いただいたり思ったことを話しかけてみたり、好きにお過ごしいただいければいい。
執筆もそう。温かい言葉をいただけば今も私はうれしくなる。それはまったくいいのだけど、そう言ってもらえるなら書いてみようかな……なんて気持ちで筆に手が伸びかけたらその時点でストップ。それじゃ過去に戻るだけだからだ。誰も読まないとしても私自身がただ書きたい!と思えない限り、私はもう絶対に書かない。温かい言葉はありがたいけれど、私が費やす時間や労力のことまでその人たちのせいにはできないのだから。
過去の自分のため、自分ではない誰かのため、その誰かがくれるかもしれない見返りのため。
今の自分ではない何かのためにうっかりがんばると、今の自分がその燃料にされ、やせ細って疲れ果ててしまうということが身に滲みた私の、反省だ。今は自分の外側よりも内側の声に耳を澄ませ、その声が言うことを何より優先したい。少なくともここ一年と少し、私はそれをだいぶ蔑ろに扱ってきてしまったのだと思う。ひとの言葉ばかり聞き、ひとに向けてばかり語り、昔創作が楽しくてならなかった頃の自分のことばかりかわいがっていた。
したがって、ここは誰のために設えたのでもない、ひたすら今の私の勝手気ままが反映される場所だ。気が向かなければ急に何日も何か月もいなくなったりするだろう。色んなことを思ったり、全く思わなくなったりするありのままの自分を、そうやって大事にしていきたいと思う今日この頃である。
この冬、めずらしく母孝行をしようと思い立った。
今日から二人、温泉地へ束の間の小旅行だ。